まるでハガキのように。
お題付き短文投稿ページ<1.01>


●さわちん
マクドの半額ハンバーガー(65円)をいっぱい買ってきて
冷凍保存1食1個でとーぶんあるよ。わーい!!!
おかずはらっきょう。


●ぽち
私の家にはクーラーがありません。
ボールでおおきな氷を作りたらいに入れ
扇風機の風をあてて涼んでいます。
氷を作る際には湯冷ましを使いもちろん塩も入れてます。
その方が硬くて溶けにくい氷ができる気がします。
おかげで相当な暑さにも耐えられる体になりました。


● ケロッグ・フロッグ
真冬の極寒の夜、家賃2万5千円のぼろアパートで、
寝袋しかない私は、新聞紙で窓のすき間をふさぎ、
寝袋の中にも新聞紙を入れて寝ていた。
新聞紙って本当に暖かかった。
作品制作のため、アトリエとしてアパートを借りて
住んでいた時のことです。花の女子大生だったのに・・・。


●ヤギ ダイ
ウチの奥さんは、パック牛乳が残り少なくなると、
水で薄めて飲みます。
(新婚当初、これを知らずに水増し牛乳を飲み、
吹き出したことが何度か…)
でも「なんでこんなことするの?!」と聴いても
「子供の頃からやってるもん」としか教えてくれません。
なんかナイーブな過去に触れるようで、
それ以来、何にも聴かず、好きなように
やってもらってます。


●どいどいを
浪人した夏、部屋にクーラーなんかもちろん無くて、
図書館とかは混んでるし、仕方がないので、
総武線に乗って千葉と三鷹を何度も往復しながら
勉強したことがあります。案外はかどりました。

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1999-08-30-MON


●けろ
学生の頃、日払いの肉体労働のバイトをしていたので、
雨が降るととたんに、びんぼー生活になりました。
梅雨時はえらいことです。昼間は傘をさして、
お金が落ちていないか歩き回る。
夜は流しに正座して洗面器で頭から水をかぶる。
そして、小麦粉と砂糖と水でつくった、
ホットケーキを食べるのです。
でも、ちゃんとデートもしたのだ。


●ささやん
ここ3年、諸事情で親が私の名義で買った(買い戻した?)
株の代金を払ってます。月4万円です。
残業しても16万円もない給料からの4万円です。
とっても痛いです。親はそういう知識のない私に
配当金にかかる税金まで払わせようとしていたらしいです。
鬼です(1回しか払わなかったけど)。


●masa
犬を飼っているんですが、最近ちょっと金銭的に苦しいので
餌を少しずつ減らしていたら野生の本能が目覚めたというか
セミを食べるようになりました。
昨日なんかは1日に5匹食べるのを見ました。
見ていないときのを含めるともっとスゴクなりそうです。
犬よごめんなさい。


●OPIP
母子家庭だった小さい頃。
外ではジュースも飲まない、お菓子も食べない
(買えない)。おやつと言ったら煮干でした(にがい)。
マンガや雑誌も読まない。でもこれが当たり前でした。
高校を卒業して上京してからファーストフードを覚えたし、
今では好きなものを好きなときに買ってしまう。
反動でしょうか。
今は心がビンボーな気がします。


●みっちゃん
子供達と買い物へ行くと、お菓子売場で子供が叫ぶ。
「ママ、今日お金ないから、お菓子はだめ?」
「だめ!」(小声で)
「うちには、貧乏神が住んでいるから!」
(その通りです)

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1999-08-29-SUN


●やんばる
スーパーの「閉店前値引きタイム」で
辛抱強くお惣菜たちの値段が50円、100円、
150円と下がって行くのを待ちます。
必殺技は1回目の値引きの品をカゴにgetしておき、
値下げが更新されるとお兄ちゃんにカゴから
品物を出してシール貼ってもらいます。


●EAZY
今現在の話です。
私は時々お金がなくなって、そうすると
主食が煎りゴマになります。
元はふりかけの容器だったものに煎りゴマを入れてあり、
それを手のひらに適量振り出し、ぺろっとなめます。
最悪それで三日生き延びました。


●めんねコッペ
恋人のアパートにお泊まりに行ったら、
ガスが止められていた。
Hしたいからシャワーしたい、さむ〜い冬だった。
幸い電気は止められてなかった。水も出た。
ドンブリに水はって、レンジでチンして風呂場で浴びた。
足りなかった。


●あっこ
プロ野球の応援団やってた頃、球場行くお金がなくて、
初乗り運賃でとりあえず入って、東京駅とか上野駅で、
落ちてる切符拾ったり(結構みんな、捨ててる。)、
ご飯食べるお金なくて、小さいパン10個入りを
定価以下で買ってきて、それを3回に分けて食べて、
しのいでいた。足りない分は、夜中に仕事が終わってから、
店のラーメン食べさせてもらったり。
財布の中に、100円しかなくても、原チャリで行ってた。


●熊田
ウチのダンナの昼食代は200円です。
結婚以来、1年ちょっと続いています。
「パン2個で結構お腹いっぱいになるんだよ!」
とか言っています。

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1999-08-28-SAT


●よし吉
小学校のころ、うちの家庭は貧しかったので、
一週間に五十円のお小遣いでした。
週間少年ジャンプも貯めてからでないと買えないのです。
四週間貯めてやっと買える。
これじゃ、週刊誌なのに月刊誌じゃないか。
先日これを母に話したら
「あのころは本当に貧乏だったのよ……」
と少し笑った。


●ふじふじこ
私はティッシュをちぎって使います。
例えば口紅をティッシュで押さえるとき、
1枚まるまる使うのは無駄なので、
5センチ巾くらいにちぎって使います。
だから我が家のティッシュはいつもちぎりかけ。
でも来客があったときは恥ずかしいので、
思い切って1枚贅沢に使います。


●syro
どこに行くにも学生服でした。
しかもその学生服は中学1年生の春に作った学生服で、
私は中学三年間で22センチ背が伸びたので
3年生の頃には袖や裾が7分丈になっていました。
今でもあの頃を思い出すと目頭が熱くなります。


●キャさリーン
私の家は家族七人、トイレットペーパーは
シングルしか使いません。
一回に引っ張る長さは癖になっていて、
シングルでもダブルでも同じです。
早く質のいい紙でダブルで使いたいと思っています。
たまに間違えてダブルを買ってきてしまうと、
減るのが早くて、すごくソンした気持ちになってくる・・・わびしー。


●BIRD
息子が生まれたとき、沐浴する
ベビーバスもなく、思いついたのがお古のベビー服が
いっぱい詰まった衣装ケース。(プラスチック)
そのつど、カラにし、コタツの上で
即席ベビーバスにしたものでした。

1999-08-27-FRI


●チャイカ
女子大生の頃住んでいたみどり荘は、
風呂なし4畳半だったうえに、寝ている間
に転がるくらい傾いていた。
頭に血が上って目がさめたこともある。


● hasesige
大学生時代、仕送りの金が尽きてしまうと、
ゴハンを炊いて塩とコショウをふりかけて喰ってました。
友達はゴハンにマヨネーズとしょう油をかけて
喰ってました。
「これが旨いんだ!」とか言いながら。
僕はちょっと気味悪くてしませんでしたが、
「マヨネーズを持っている」というのが羨ましかった。


●タカヒロヤマナカ
めちゃビンボー学生だったので、
デートはいつも近所の市立図書館だった。
ペチャクチャしゃべると注意されるから、
自然と会話は少なくなり、読書量は増えた。
知らないうちに彼女が帰っていることもあったりした。
「森鴎外」全集に挑みはじめた頃、
とうとう、ぼくはフラれた。いろいろ賢くなった。


●みぃしゃ
個人的にビンボーだと思ったことはありませんが、
ビンボーな旅行会社、つまり倒産寸前
〈結局倒産しましたが )の会社にいたことがあります。
それはもう毎日毎日ひやひやの綱渡りでした。
いろいろあって最後のころは取引先
(旅館、航空会社、バス会社など)から
信用を無くしすべてが現金決済になり
毎日毎日金、金、金、お客の金をいかに集金するかが
全てでした。〈そのお金がそのまま旅行チケットに
成るのですが)。
給料日には営業の誰かが大口の集金をしてくれると
みんなでああ給料が出る、と喜んだものでした。
今となると笑えますが授業料を払っても
あんなビンボーな思いはしたくないですね。


●桜井詔子
第一子出産の時、入院費用捻出のため、入院中は、
毎日主人が病院へ見舞いに来て、
産婦の食事を2人で食べた。

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1999-08-26-THU


● いけぽん
うちの母親は台所洗剤が半分になると水をたします。
これがまた半分になるとまた水をたす・・・てなかんじで、
うちの洗剤はほとんど水です。


● しつちょう47
中学生の頃、山中鹿之助の真似をして
「我に七難八苦を与えたまえ」と言ってました。
そして、水前寺清子の「ボロは着てても心は錦…」と、
歌っていました。
それ以来30数年ボロを着て苦しんでいます。
たぶん、ビンボーが好きなのではないのかと思う
今日この頃。


貧乏は苦しくて悲しい・・・。自慢になんて出来ない。
私は貧乏のために女を捨て、
花のOLの身分も捨てて小学生の落とした50円玉を
拾った( うばった )ことがあります。
しかも小さく
「 ガルルルルル・・・・。」とつぶやいていました。
人間も捨てていたのですね。だって本当にお金がなくて、
マジでおなかが空いていたのですもの・・・。


● まゆみ
小学校低学年の頃だったとおもいます。
母親に教えられました。
「お金がない時には食べ物を
つましくするしかないんんだよ」
かわいいわたしは、一生懸命努力し、
母に報告したそうです。
「お母さん、味噌でごはん全部食べれたよ!」
泣けてくるじゃありませんか・・。
わたしって、けなげな貧乏っ子よね・・。


● グランプラスのおしっこ小僧
3ヶ月間お金がまったく入ってこなかった。
そりゃ、あほなベルギーの銀行のてちがいだわさ。
馬鹿!マイナス28度でさむいっつーのに
食べるものが買えない日々。
パン粉をフライパンでやいてシナモンと砂糖かけてる頃は
ぜいたくだった、
塩混布をゆでてたべててもまだスープがあった。
乾麺を1本を3等分におってゆでた。
でも量はふえてないからお腹はすごくすいた。
みんな実感しないだろうなマイナス34度とか、
部屋のガラス窓の水滴が窓開けた瞬間「ミシッ」って
凍るんだぞ。そんな中ザベンテン空港へ行くのに朝
4時に道を歩いたよ。 泣きたくはなかった。
泣くとはなみずも目も凍るもんね。

1999-08-25-WED


● りえぞう
あれは12年前 4歳年下の妹と6畳2間木造
2階建てアパートに引っ越しました。
初めて親元を離れての生活 夢は膨らむ…はずでしたが、
夏場は風流と思った木製の窓枠も、冬場は恐るべき
すきま風に、炬燵に足をつっこんだ私たち姉妹の会話は
白い息とともになされるという状態でした。
その木造アパートへの引っ越しはなんとリヤカーに
荷物を積んで何往復もするという20代前半の乙女には
きわめて過酷なものでした。
周囲にもリヤカーで引っ越しをしたなんて
人はおりません。リヤカーを引いたことすらない人が
ほとんどです。ちょっと自慢ですが…
あまり人に話したことはありません 


● わか
「貧乏をすれどわが家に風情あり質の流れに借金の山」と
まではいきませんが、うちには風呂がなく、
トイレも共同です。
給料日前になると、銀行から100円とか200円を下ろして、
それで1日を過ごしています


● ローリン
10年以上前だけど初めてひとり暮らしをはじめた頃に、
とにかくできるだけ節約しようと思って、洗顔、
シャンプー、入浴、茶碗洗いを
牛乳石鹸ひとつでやっていた時期がありました。
まだ10代で肌も髪もなんの問題もなかったです。
なつかしいわっ。


● もも
学生時代超貧乏だった私は、
昼間空腹に耐えながら自作の地図を
片手に自転車でご近所を巡回していました。
そう私は特製畑地図を作成していたのです。
品種・収穫時期等のデータが記入された特製畑地図は
私の空腹を救ってくれる唯一の宝物でした。


● 雪中庵
協力隊員として、ブータンに3年住んでたゾ!
ヒマラヤの山奥(首都からバスで3日)だったので、
冬になると米とジャガイモしか無くなった。
病気になっても、救急車が来るのは3日後だゾ。
お金はイッパイあったけどな、
あれってホントは紙切れだぜ。

1999-08-24-TUE

● タカチホ
自己紹介の時に趣味が
寝る事しか思い付かなかった時代があった・・・


● わか
「貧乏をすれどわが家に風情あり質の流れに借金の山」と
まではいきませんが、うちには風呂がなく、
トイレも共同です。
給料日前になると、銀行から100円とか200円を下ろして、
それで1日を過ごしています


● アヤコ
大学生の時「車の免許をとりたい」と言ったら、
少し前まで大賛成だった父が急に「危ないからやめなさい」
と大反対。妹もとったのになんで私はダメなんだ、
と憤慨していたら、数年後、
実はそのとき兄妹3人の学費で実家の家計が火の車
だったと母がこっそり教えてくれた。
子供に「金がない」とはとても言えなかったらしい。
そうか、うちは貧乏大家族だったのだ、と、
そのとき気がついた私。お父さん、だだこねてごめん。



● いおり
ビンボーだった我が家ではキッチンペーパーなどと
言った洒落た物はなくフライパンや中華なべの
余分な油をふき取るときには着古した下着を
使っていました。ランニングなら良いのですが、
たまに父のブリーフかと思われる布や母のパンツかと
思われるものもあり、洗ったものとはいえ
ちょっとためらう私でした。
18の秋。


● なおこ
昭和41年生まれの私は幼稚園のころ
父親の実家に新幹線で帰る時ビニールシートを持たされ
名古屋まで両親の足元に小さく座っていた。
母はあのころはお金がなくてと言っているが
今両親は千葉で注文住宅に住んでいる。
それもローンはなしでさらに家族4人で
住んでいた分譲団地も売らずに所有している。
最近千葉の家まで私が行くとグリーン車のチケットを
買ってくれるあのときはごめんねの意味らしい 。

1999-08-23-MON

● きり
学生の頃仕送りゼロでした。
スパゲティー屋でバイトしていたのは、
食事がタダだったからに他なりません。
来る日も来る日もスパゲティー。
世の中にはいろんなスパゲティーがあるのだ。
バイトのない日は「もやし炒め」・・・。
その頃より10L以上太ってしまった今では
懐かしい想い出です


● 第3直樹丸
小学生の時のことなんですけど、
ラジコン・カーの電池を放課後の誰もいない
小学校の理科室のコンセントで充電してました。
次の日の朝、理科室へ電池を取りに行く時、
無事にあるか、本当心配でした。
電池の充電ってすごいお金がかかりそうな気がして、
家でできなかったんです。


● 小びん暮〜
屋台のおでん屋で、
ただつゆを貰って生き延びた人が居る(女性)

台所のステンレスを鏡替わりに使っていた。
動くと顔がどんどん変化して面白いという、
楽しみも憶えた。



● Kaz
東京で学生をしていた頃、
仕送り前で財布には千円に満たない
小銭しかなかったあの日。
土曜日の午後、通りかかった本屋のガラス戸に
「手塚 治 来店」の貼り紙。
「ええっ?!」と思ってのぞくと、
神様がにっこりほほえんでこちらをみていらっしゃる。
え?他にお客様はいないの?!ああっ
サインをして頂きたい!でも財布の中身マイナス
帰りの電車賃イコール絶対文庫本一冊の値段にも足りない!
手持ちの紙にサインをしていただくのじゃ、
神様にあまりにも失礼だ。ああああぁああぁ!
めまぐるしく思考が渦巻いた。
・・・ビンボーは絶対悲しい、と強く強く思った。
18の秋。


● 兼業かあちゃん
ぼんたんズボンの頃。ツッパリやってた家出中の弟。
公園で,カップヌードルにお湯かけて時間をかけて
ふやかして倍ぐらいにして食べてたそうな。
浮浪者のじいさんが、
「にいちゃん、寝るとこないなら,家に来な。(うち?)」
と憐れんでくれたのが惨めだったって。

1999-08-22-SUN

● BUNちゃん
私が小学1・2年生の頃、
夏休み(約40日間)のお昼ごはんは
毎日毎日ほんとに毎日、そうめんでした。
飼ってたねこは、毎日毎日ごはんにかつおぶしといりこと
しょうゆを混ぜた「ねこまんま」を19年もたべてました。
あの頃、母は女手ひとつで
そうめんを食べさせるだけでも必死だったと思います。


● あにゃん
短大生の頃のある夏の日、
妹とプールに行こうという話になった。
なんとか節約しようと弁当も作った。
しかしどう計算しても、プール入場料を払ってしまうと
バス代が出ない。「『2人ぶんで〜す』って言って
小銭をジャラっと運賃入れに入れればわかりゃしないよ」
と妹を説得して、計画を実行。事無きを得た(時効)。
そうまでしてプールに行く必要があったのかは疑問だ。

*ビンボー自慢というよりプール好き自慢みたいですね。
いいの。聞いてもらいたかっただけだから。


● mezzo piano
19歳で親元を離れて以後、初めて自室にトイレがあって
台所に換気扇のついてる部屋に住んだのが30歳、
初めてウチ風呂(死語?)のある家に住んだのが
実に37歳。
(大昔の話じゃありませんぜ。あたしゃ現在39歳。)
今の世の中、一番ビンボーな社会階層は大学院生&
定職なき院生あがり(いわゆるオーバードクター)です。
うう。



● T
なーんにも食うものがなくて、
仕方がないので下宿の庭に咲いていたアジサイの葉っぱを
天ぷらにしてみた。
すごくおいしそうと思ったのもつかの間、
油の温度が高かったのか?もくもくもくと黒い煙が充満し、
軽いボヤ騒ぎになっちまった。


● ママのぼり
私は、心のビンボー人です。
家族といても、友だちといても、いつも私はビンボーです。
本当の私をさらけだすことなく40年を生きてきました。
きっと、パソコン以外に自分を見せることなく、
生涯を終えていくと思います。

1999-08-21-SAT

● メソもも
ネコの缶詰を買うお金がなかった時に、
本枯れ節&新米のねこまんまをあげました。
ビンボーというか、なんというか微妙ですね。


● あっちゃん
私が小学校の頃うちがビンボーだったのは、
父がギャンブラーだったから。
借金取りからのラブコールがうるさいので、
電話にはいつも座布団がかぶさってました。
友達には3回コールして一度切って、
もう一度かけてもらうようにお願いしてました。
玄関の戸を蹴りながら、親父を出せーって
どなるヤクザなおっちゃんに、
「おとーさんはどこにいるか分からないんです」と
嘘泣きで訴えて帰ってもらう演技力も身に付きました。
破産宣告でとりあえず落ち着きました。


● etsuko
うちの2階のシャンデリアは、電球が、
ひとつしかつかない、ここ何ヶ月か。



● える
田舎の叔父からEメールが届いた。
「おばあちゃんは元気だよって・・。」
母の画像が添付されていた。
65歳になったとはいえ、とっても元
気な母だ。写真をじっとみていると
「あれ?!このセーターは・・。」
母が着ていたのは、20数年前に私の夫が
学生時代に愛用していたセーターだった。


● 桜井詔子
第一子出産の時、入院費用捻出のため、
入院中は、毎日主人が病院へ見舞いに来て、
産婦の食事を2人で食べた。

1999-08-20-FRI

●ともたん
現在、貧乏継続中です。
しかし、雑誌などに「節約生活の〜。」などとある
と、つい買ってしまうため、
そのテの雑誌がむやみやたらと貯まってしまい、
「貧乏してるから、今日の飲み会はパス!」
などと言って家に帰って
雑誌の整理をしてると結構落ち込んでしまいます。
早くこんな生活から脱出したいッス!


●姫
私の貧乏は、ちょっとしゃれになりません。
うちが貧しかったので、私は大学へ行けませんでした。
高1の旺文社テストでは、全国で750番だったのに。
最初親は東大ならいいと言っていたのに、
それが実現しそうになると、猛反対をはじめました。
結局、私は高校を出ると公務員になり、
自分のお金で大学を卒業し、留学までして、
いまは優雅なプール付きの家にすんでます。
あ、これって自慢ですか?すみません。


● ぽんこ
OLをしていた頃は広島に住んでいました。
扇風機も買えず、一人暮らしで窓も開けられず、
唯一の涼みグッズはアイスノンだけでした。
会社で捨てると言うワンドア冷蔵庫を貰いそれで
ようやく冷やしたアイスノンを寝るギリギリ迄冷やして
それを抱いて寝ました。
朝急いで出かけてアイスノンを冷蔵庫に入れ忘れると
その日の夜は地獄絵図のようでした。
いい年こいての『汗疹』には、笑えました。



● よし吉
昔、懸賞に応募しようと思ったが、
ハガキ代が勿体なかったので、
自分宛に来た年賀状で消印の無いやつに白い紙を貼って、
宛名を書いて送った。
でも、戻ってきて「これは使用済みです」と
郵便局が怒りのスタンプを押してました。
家族が先に見付けてしまい、せっかく来た年賀状なのに、
としばらく人間扱いされませんでした。

1999-08-19-THU

● じょにい
高校生の頃(と言っても14・5年前)学食の食券
(無地の色つきプラ板)を作って友人に売り、
その金で自分は正規の食券を買ってました。
それ以前は近くのパン屋でサンドイッチの残りの
パンの耳をもらってました。


● 揚げだし豆腐
私は靴を食べたことがあります。
その頃は、手元に十五円しかなくて、一週間の間、
水と「お父さん頑張って」に割り箸を突っ込んでは
舐める以外、何も食べてませんでした。
そして、ふと目に入った革靴が、その時は
本当においしそうに見えたんです。
チャップリンの映画を思い出した私は、
早速煮込んで食べてみました。
寒天のように透き通ったそれは・・・ゴムの味がしました。
一口しか食べられませんでしたが、おかげで、
あと三日何も食べなくてすみました。


● kawa
キャベツを使う料理をする際、なんとなくもったいなくて
切り取った芯をその場でバリバリとかじってしまいます。



●さねあつ
友達の家に遊びに行こうとしたら、突然、雨が降ってきた。
小学生だった僕は、底に穴の開いた靴1足しか
持ってなかったので、
母親が「それじゃ靴下が濡れるでしょ」と言って、
台所からビニール袋を2枚持ってきて、
僕の両足に1枚づつかぶせ足首の所を輪ゴムで止めて、
それから靴をはかせた。
僕も「さすが大人のアイデアだー」と喜んで、
そのまま友達の家に遊びに行って、
向こうの家の玄関先で、靴を脱いで、ビニール袋を脱いで、
家にあがったけれど、今から思うと、
それってメチャクチャ貧乏臭かったのでは・・・。
帰る時もちゃんとビニール袋をはいてから靴を
履いてかえったし。


● きんきん
以前は「宵越しの銭は持たねぇー」とか言って
豪快におごりまくっていた私。
プーになってからはとても慎ましやかに暮らしています。
それで気づいたんやけど、
私って江戸っ子でもなんでもなく
「宵越しで銭を持っていられない」
ビンボー人やったんやー!
大金持ってたら落ちつかへんねん。。。

1999-08-18-WED

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